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観光スポット

泡盛と島料理 海人酒房

2007年10月21日(日)、八重洲地下街にオープン!


 多様なコンセプトのレストランを全国展開している株式会社クリエイト・レストランツ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岡本晴彦)は、2007年10月21日(日)にリニューアルオープンする『八重洲地下街』(東京都中央区)の南ゾーンに泡盛と島料理「海人酒房」(うみんちゅしゅぼう)をオープン致します。
 「海人酒房」は、豊富な泡盛と昔ながらの伝統的な沖縄料理を、沖縄の民家を思わせる店内で賑やかに楽しめるお店です。
 近隣のオフィスにお勤めの方や東京駅をご利用になる方、観光で東京にいらっしゃった方など、八重洲地下街を行き交う多くの方に、長寿の源とも言われる沖縄料理と泡盛を気軽にお楽しみ頂きたく、この度の出店となりました。
 今後も弊社はお客様の満足を原点に、立地創造と共にその時代に望まれるレストランを創り続けたいと考えております。


〜おでんの中に、豚肉のかたまり?!お肌ぷるぷる、コラーゲンたっぷり沖縄おでん〜
 「海人酒房」イチオシ料理は、「沖縄おでん7種盛り」(¥980)。
 ぶつ切りにした骨付き豚肉のかたまりと一緒に、大根やコンニャクをコトコト半日以上煮込んだ沖縄ならではのおでんです。
 コラーゲンがたっぷり染み出てトロトロになった濃厚なスープに沖縄の定番食材「スパム」、しゃきしゃきとした栄養満点の「ケール」もどっさり入っているのが特長。
 このおでんを食べれば、お肌がぷるぷるになること間違いなし!

〜沖縄にある全ての酒造所から一つずつ選び抜いた厳選泡盛〜
 「海人酒房」の泡盛は、新酒から古酒まで、沖縄にある全ての酒造所から各々一本ずつ選び抜いた全48種類。店内には泡盛マップをご用意しておりますので、地図と見比べながら味や香りの違いを楽しむ、一つずつ制覇して泡盛マップのコンプリートを目指すなど、楽しみ方は様々です。

 沖縄の民家で寛ぐような賑やかで親しみやすい雰囲気の中、沖縄の旨味がぎゅっと詰まった沖縄おでんをつまみながら、泡盛を酌み交わす…そんな心和む至福のひと時をお過ごし下さい。


<店舗基本データ>
 ◆店名:海人酒房 八重洲地下街(ウミンチュシュボウ ヤエスチカガイ)
 ◆業態:泡盛と島料理
 ◆住所:東京都中央区八重洲2−1八重洲地下街南1号
 ◆営業時間:11:00〜17:00、17:00〜23:00
 ◆定休日:元旦のみ
 ◆予算:ランチ900円、ディナー3500円
 ◆席数:48席


http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=168050&lindID=5より引用
知念半島にある斎場御嶽は琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる琉球最高の聖地です。
2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています。また、一帯は沖縄県の名勝、御嶽内で出土した陶磁器と勾玉などは国の重要文化財(考古資料)にも指定されています。
琉球の最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われました。山の中にあるため沖縄の自然も体験できます。入口付近は足場がやや悪く急な傾斜や階段です。
斎場御嶽は現在の南城市(旧知念村)にある史跡。15世紀-16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされています。






おきなわ本島最北端の辺戸岬近くにある茅打ちバンタは高さが約70〜80mもある断崖絶壁です。
茅打ちバンタの名の由来は、束ねた茅を崖から投げ込むと、風に打たれてバラバラになることからこの名がついたそうです。
ちなみにバンタとは方言で崖と言います。
ここは、かつては交通の難所といわれていましたが、辺戸岬(へどみさき)に通じるトンネルが開通し、東海岸との交通が便利になりました。



今帰仁城は城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多量に出土し、往時の繁栄を感じます。北山が滅ぼされた後は旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣され1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際に、その第一の攻撃目標となりました。
石垣(石垣は「野面積み」といわれ最も古い造り方と言われています)などの遺構の整備が進み、
今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日国の史跡に指定されています。
門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右に、1月中旬から2月初めまで緋寒桜(ヒカンザクラ)がきれいに咲きます。本部町の八重岳などと並んで、おきなわの桜の名所として知られています。
城内には志慶真乙樽歌碑や山北
今帰仁城監守来歴碑記などの碑もあります。

2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群として
ユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録されています
(登録名称は
今帰仁城跡)ですよ







園比屋武御嶽石門とは守礼門と首里城の正門にあたる歓会門の中間にあり、尚真・しょうしん(1477〜1526年)によって1519年に創建されたとされます。築造者は竹富島出身の西塘(にしとう)。
国王が首里城を出て各地を巡る際に道中の安全を祈願した拝所で、琉球王府の最高位の神女の聞得大君(きこえおおぎみ)が斎場御嶽で即位式をおこなう際にも園比屋武御嶽石門で祈願したと伝えられている。


読谷村のほぼ中央にある座喜味城跡は、15世紀初期に築城家として名手だったといわれる護佐丸(ごさまる)によって築かれたと伝えられています。
城からの景色は絶景で、残波岬、恩納村の海岸等をみる事ができます。



阿麻和利(あまわり)が居城した城と伝えられる勝連城跡は、おきなわの城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられています。阿麻和利は護佐丸を滅ぼした後に、琉球統一をを考えて国王の居城である首里城を攻めましたが落城して滅びました経緯があります。
 


名園はおきなわ県那覇市識名にある琉球庭園の一つです。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも、また首里の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれていました。造園は琉球の第二尚氏王朝、尚穆(在位・1752年 - 1795年)の時代に始まったと言われています。
中国の様式とおきなわ独自の様式の折衷様式で建築されていて、完成当時は中国皇帝からの使者(冊封使)をもてなす迎賓館として使われていました。
ここには展望台があるのですが海は見えないです。
これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれています。
第二次世界大戦で名園園内のほとんどの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元なんですよね



玉陵とは、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれたもので、第二尚氏王統の陵墓となっています。 墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたと伝えられています。
3年余りの歳月をかけて修復工事が行われました経緯があります



北谷町の国道58号線を走っていると海側に大きな観覧車が見えてきます。そこ一帯を美浜と称します。ショッピングからグルメ施設がある人気スポットです。
またサンセットビーチも隣接しており、色々な楽しみ方ができる人気のエリアです